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留学生100万人計画

<留学生100万人計画>第2次報告に盛る方向 再生会議」(毎日新聞)という記事から。
 政府の教育再生会議の第3分科会(高等教育)が18日開かれ、海外から優れた学生を招致するため、25年ごろをめどに「留学生100万人計画」を策定することで意見が一致した。5月の第2次報告に盛り込む方向で検討する。
 国内の留学生は06年度で約12万人。政府が83年に策定した「留学生受け入れ10万人計画」は達成したが、米国(57万人)や英国(34万人)などに後れを取っている。


100万人とは、思い切りましたね。
かつての留学生10万人計画は、そうとう苦労して何とか達成できた、という状態。
補助金を目当てに、かき集めた留学生が、まったく就学していなかった、という短大もありました。

あと20年足らずで、88万人を積み上げることができるのでしょうか。

でも、これ必要だと思います。

現在、日本は人口縮小段階に入ってきています。
特にしばらくは、団塊世代が退職していく一方で、新たに社会に出る若年労働者層はすでに少子化が始まった世代です。
つまり、労働人口が極端に縮小するわけです。
もちろん、定年の延長や、女性の働きやすさ改善で、補おうとしているのだと思いますが、もうひとつの方策として、海外からの労働者の流入です。

そのために、専門学校なども含めて、いったん日本の学校で教育を受けた留学生が、そのまま日本に残り、日本の新卒者と同様に働き始める。
その中には、いったん母国で就業経験をつんだ後日本に留学してきた人もいるでしょう。

日本の企業にとっては、かなりの戦力になるのではないかと思います。

「100万人」という数字にどれほどの意味があるかはわかりませんが、留学生を増やすということは、他にも好影響がありそうです。

国立大学への交付金削減方針見直しを提言

大学交付金削減見直し、教育再生会議が予算拡充提言へ」(読売新聞)という記事から。

 国立大への運営費交付金削減については、「最低限の光熱水費や設備のランニングコストは一定額を措置すべきだ。(政府方針を)見直す必要がある」としている。その上で、「教員数と学生数を前提とした一律的な配分ではなく、評価に基づく配分が必要だ」とし、研究に対して与えられる「特別教育研究経費」をはじめとする交付金のあり方に関し、研究内容を評価し、それに基づいて配分する新たな仕組みを求めている。


まあ、その当然だと思います。

しかし、今時、支出を増やすということは、純粋に増額できるわけではなく、どこかを削減しないといけないですよね。
文部科学省以外の予算から持ってくるとなると、相当な抵抗があるはず。

でも、よく考えたら、大学への交付金を出せるのは文部科学省だけしかだめ、ということはないのではないかと思います。
各省庁のテーマに政策に沿って、優れた研究・教育の実績を上げているor上げると見込まれる大学については、各省庁が独自に補助金を出してもいいのではないかと思います。
そればら、「予算をとられる」という感覚とは少し違うのではないでしょうか。

(法律など、わからずに書いていますが・・・)

ギャップイヤー制度導入を提言

<教育再生会議>大学の「ギャップイヤー制度」提言へ」(毎日新聞)という記事から。

・・・大学に合格した学生が半年程度学校に通わず、ボランティアや就業体験活動をすることを認める「ギャップイヤー制度」の導入を盛り込む方針を固めた。・・・


ギャップイヤー制度そのものはいい制度だと思います。
確かに、大学での勉強意外に、このような社会経験をつんでいる学生の方が、社会に出てからのスキルは高いという調査があるようです。
新卒の採用面接でも、必ずそのあたりのことは評価の対象になります。

でも、制度導入の必要があるかどうかは疑問です。

現在、多くの学生がアルバイトをしています。あるいは長期休暇を利用して、海外に出て行く人、ボランティアに励む人もいます。
それで充分だと思いますし、大学を体験する前に社会を経験するよりは、在学中に体験した方が効果は高いと考えます。

でも、このギャップイヤーには別の影響がありそうです。

高校を3月に卒要して、半年間のギャップイヤーを経て9月入学とすれば、海外の大学と入学時期が揃うので、流動性も高められる、という意図から来ているのだと思います。

ただ、それで4年間学ぶと今度は9月卒業になってしまいます。

卒業してから就職活動をすれば、今よりは一年遅くなりますが、大学で学ぶ期間は充実したものになりそうですし、就業の準備期間も取れます。

また、もう学部教育を3年半にしてしまって、修士課程を2年半にしてしまう。修士課程終了までがスタンダードになれば、それもいいと思います。

上手く使えそうな気がしてきました。

国立大授業料、大学や学部で差をつける提案

国立大授業料、大学や学部で差…再生会議が提言素案」(読売新聞)という記事から。

 適切な競争原理と成果・実績主義の徹底を基本とし、予算配分に一段とメリハリをつけるのが柱だ。具体的には、現在は全国ほぼ一律の授業料・入学金について、理系を高くして文系を安くするなど、大学や学部別に差をつけることや、60歳以上の教員の給与を段階的に削減することなどを提案している。


当然だと思います。
独立行政法人になって、ある程度、各大学の裁量になったのではなかったでしたっけ?

理系分野は教育にかかる設備・施設に費用がかかります。
また、教員一人当たりの学生数も文系に比べれば少ないでしょう。
その費用を、受益者である学生が負担することは止むを得ないでしょう。

ただし、「理系を高くして文系を安くしろ」と国が言うのはどうかと思います。
文系だって、ものすごくお金を使って、教員も増やして教育をすることは可能です。
「それだけの教育をするのだから、授業料を払ってくれ」と言ってもいいと思います。
逆に、「ウチは授業や施設のコストを抑えて、その分授業料は安いです。でも、他の大学と同等の教育成果を保障します」という大学があってもいいです。

現在の、各大学の授業料の正当性はどれくらいあるのでしょうか?
以前、「授業料は全て教育に使って」と書きましたが、原価構造を見てみたいものです。

<教育再生会議>人気校には予算優遇 学校選択制を拡大

<教育再生会議>人気校には予算優遇 学校選択制を拡大という記事から。

行きたい学校を選べる学校選択制を拡大した上で学校予算を児童・生徒数を重視した配分に変更することで、人気校が優遇されるよう促す。同時に学校の統廃合の推進を打ち出し、人員や財源の効率化を求める。


公教育を市場原理にゆだねるということです。
結局この教育再生会議では、どのような子ども達を育てたいのか、これからの日本にはどのような人材が必要なのか、明確なビジョンを打ち出せなかったのでしょうか。

学校選択性で、学校が淘汰されることには、反対しません。
ただし、言い方は悪いですが、どのような学校を選ぶべきか、国民の意識を誘導するような教育ビジョンがないのでしょうか。
それを出さないことには、間違った方向のマーケティングに走る学校が続出しそうです。

あと、ちょっと気になったのは、一部報道では、「やる気のある先生、能力のある先生を優遇」といった表現を使って、いよいよ教員にも成果主義が・・・みたいな論調になっているところがありました。
それは、成果主義ではありません。
成果主義では、情意や潜在能力は評価しません。
いかに、目標を達成したか、が評価ポイントです。

結局、どういう子ども達を育てたいか、そこに向かって何をするのか。
これを、学校、教員、保護者、児童・生徒、地域で、どう共有していくか、ということになるんだと思います。



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