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ビリギャルの先生が語る「受験こそ教養のきっかけ」について考える

少し前に観た映画『バケモノの子』で、印象的なシーンがありました。

主人公が、バケモノの世界からヒトの世界に戻ってきて、図書館で手にとったメルヴィルの『白鯨』を読みこなすために、独学を始めます。幼い頃からバケモノに育てられてきましたから、最初は文字を読むことからです。
でも、文字が読めるようになったからといって、その内容を理解できるということではありません。そこから地理や文化史の勉強へと広がっていくというものです。

「あぁ、学習の1つの在り方だな」と思える、いい演出でした。

ビリギャルの先生が語る教養「受験こそ教養のきっかけ」(朝日新聞)という記事から。
坪田信貴さん。坪田塾塾長。1300人以上の子どもたちを個別指導。生徒の偏差値を短期間で急激に上げることで定評があるという。著書「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」が累計100万部、映画「ビリギャル」は観客動員数200万人を超えた。

 学年最下位の成績だった「ビリギャル」を1年で慶応義塾大学に合格させた塾経営者の坪田信貴さん。その経験をつづった本「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」は、累計100万部を超え、映画化された。「受験こそ教養を得るきっかけになる」という。(聞き手・大西元博)

確か、ビリギャルの本は、このブログでは紹介していなかったですね。「まあ、塾の宣伝だよね」ということでスルーしたはずです。

それはともかく。

こういう話題になると、「教養って何?」ということをどうしても考えてしまいます。

もちろん教養と雑学は違います。
「教養のある人」と「知識のある人」も違います。どちらも、知識があることには変わりはありません。

でも、「知識のある人」というのは、「これは何ですか?」と聞いて、「これは○○です」と正答が出てくる人というイメージです。
でも、「教養のある人」とは、知識はあることが前提ですが、その知識をその人の考え方、生き方、行動に活かすことができる人、なのではないでしょうか。
「私は●●を知っている。だから、この問題については、私はこう考える」と言える人ですね。

そう考えていくと、「受験になると教養が必要になる」とはどういうことでしょうか。

単に、語彙力が足りないから文章が理解できないということではないはずです。
それでは、文章の意味が分かるというレベルの話です。教養とはちょっと違う気がします。

この先生の場合、生徒に読書を課すのではなく、読書感想文を課したというところに意味があるのではないでしょうか。

読書感想文を書くということは、その本をどこまで深く理解したかを表現するということでもあります。
知識が増えれば、その分、文章の捉え方が豊かになっていきます。
「私は●●を知っている。だから、この文章には、このような意味があると私は考える」と言えるわけです。

「月1冊の読書なんて、たかが知れている。それがどれほどの教養になる?」と揶揄する人もいるかもしれません。
目的が違うのです。
読書をして、その内容を知識として習得しようということではないのです。
読書感想文を書くことで、受験勉強で広がった知識を、使いこなすトレーニングを重ねているということなのだと私は理解しました。

ビリギャルの彼女が、それを自分で続けてくれてるといいですね。
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