「文学部って必要なの?」というのは、よく言われることではあります。
まあ、文学部と言っても、その中には、教育学科があったり、心理学科があったり、地理学科があったりするわけで、そういうのは、ひとくくりには出来ないとは思います。
「必要なの?」と問われる存在だからこそ、逆説的に必要だという言い方もできそうな気もします。
「
国立大学の人文系学部・大学院、規模縮小へ転換 文科省が素案提示」(産経新聞)という記事から。
文部科学省は27日、全国の国立大学に対して人文社会科学や教員養成の学部・大学院の規模縮小や統廃合などを要請する通知素案を示した。理系強化に重点を置いた政府の成長戦略に沿った学部・大学院の再編を促し、国立大の機能強化を図るのが狙いで、6月上旬に文科相名で大学側へ通知する。(後略)
「社会的要請の高い分野への転換」という言葉がひっかかりますね。
例えば、縮小の対象になっている教員養成系。
「学校教員なんて、そんなにたくさん要らないよ」というのが社会の要請なのでしょうか。
今、学校の先生方は大変ですよ。
人は増えていないのに、やることはどんどん増えている。
部活動指導を専門にやってくれる人がいたら…とか、児童・生徒へのカウンセリングを専門にやってくれる人がいたら…とか、思っている先生は多いのではないでしょうか。
それで教育の質が向上するなら、もっと教育に予算を割いてほしいと思っている人は多いのではないでしょうか。
一方で、人文系の学部が、今の規模で、本当に必要なのかというのは、確かに考えてみる必要はあるかと思います。
1大学ごとに残すか無くすかという話になれば、それは、「なくなっては困る」「なくされては困る」という声が出てくるのは当然です。
この大学の教員の職場がなくなるかどうか、ひとつの大学が学部をなくすか残すか、日本全体としてその分野の人材育成をどうするのか、全部をひとまとめにしては、おそらく話は進まなないでしょう。
そこで、「社会的要請」です。
これは、産業界、経済界の要請とイコールではありません。
もちろん、日本国内に限ったことでもありません。
国際社会で、日本の人文科学系の人材育成が求められているということのであれば、縮小する必要はないということになります。
「社会的要請」という表現を使うのであれば、それを明らかにしないことには、一歩も議論は進みません。
comments
自分は高専中退中卒なのでそもそも文系とも理系とも無縁ですが昔シンクタンク研究員の講演を聴いた時「日本は理系の面々が稼いだ富を文系の人間が食いつぶしている」って仰ってました。
大学教育に限定すると、文系の学部で、マスプロ教育で稼いだお金があるからこそ、理系の贅沢な教育が成立するのだという方もいらっしゃいますね