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大学入試改革の成否は手間をかける決意にかかってる? について考える

中教審でまとめられる大学入試改革の答申案について、以下のように取り上げました。
大学入試で集団討論やプレゼン、知識の活用重視へ について考える

単に「入試制度を変える」というところだけに焦点を絞ってしまうと、失敗しそうな気がします。
相当な困難が予想されますが、高校教育、大学教育の改革もセットで考えていかなければならないことです。

社説:大学入試改革 手間をかける決意こそ」(毎日新聞)という記事から。
 よく考え、判断し、表現ができて主体性がある。これらの力をどう見いだし、評価するか。
 容易ではないが、中央教育審議会がまとめている大学入試改革の答申案は、これを選抜試験の主眼とし、学校教育の質的転換もうたう。

(中略)

 例えば、1点刻みの順位を当たり前としてきた「試験文化」をどう改めるか。教科・科目を超えた出題とはどのようなものか。大規模大学でどう対処できるのか。肝心の大学教育をどう変えるか……。
 これまでの制度でなぜうまくいかなかったか。まず挙がるのは、手間を惜しんだことではないか。
 入学者選抜には丁寧に手をかける。それが共通認識として醸成できるかどうかに成否がかかる。

途中まで、書いてあることは、至極真っ当な話なのですが、結びの展開はどうなのでしょうか?

大学関係者の皆さんは、入学者選抜に手間を惜しんでいるのでしょうか。
そして、手間をかければ、制度はうまくまわるのでしょうか。

それこそ、従来からの「試験文化」を過信しすぎてはいないでしょうか。

あまり「選抜しよう」などと思わない方がいいと思っています。
「その学生のプロフィールを知る」ぐらいの位置づけで、いわゆるアセスメントとして位置づければいいのではないでしょうか。
つまり、その学生に対して、入学後にどんな教育が必要かをリサーチする目的としての入学試験です。
もちろん、リサーチの結果、「ウチの大学では無理です」という入学希望者も出てくるでしょう。

そして、高等学校に対しては、そのアセスメントの結果を分析して、「もうちょっとこの辺りの力を伸ばしてもらえませんか」と提案し、その育成方法を一緒に考える。
漠然と「学力低下だー」と言っていても、何も解決しないので、具体的なアクションが必要です。
それが、「高校と大学との接続を円滑にする」ということではないでしょうか。

必要なのは、試験文化からの転換なのではないでしょうか。
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