「リメディアル教育」といった言葉が流通し始めたはいつ頃だったでしょうか。
リメディアル教育学会の発足が2005年ですから、2000年前後ぐらいでしょうか。
「medi」という言葉が入っている通り「治療」といった意味合いが含まれています。
「補習教育」と訳されることもありますが、本来の言葉の意味を考えると、「補修教育」でもいいのかもしれません。
これまでにも書いていると思いますが、こういう状況に対して、
「そんなものが必要な学生は大学に来なくてよい」
「そんなものが必要な大学は潰れてしまえ」
というコメントが多く寄せられるかと思いますが、そんなコメントには意味がありません。
なぜならば、「それで、この若者たちはどうするの?」という視点が抜けているからです。
誰が面倒を見るのでしょう?。捨てておくのでしょうか。結局、社会的に面倒を見るということは、社会的にコストをかけるということです。その肩代わりを大学がやっているだけのことです。
大学の小学校化が深刻…授業でbe動詞や単純な割り算、大学も定員割れ激増で必死(BusinessJornal)という記事から。